

《 第19回具体美術展ポスター 1967 》
シルクスクリーン(85×61cm)
price on request
第19回具体美術展は、1967年10月にセントラル美術館(東京)、11月にグタイピナコテカ(大阪)で開催された具体美術会員によるグループ展。


《 第19回具体美術展ポスター 1967 》
シルクスクリーン(85×61cm)
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第19回具体美術展は、1967年10月にセントラル美術館(東京)、11月にグタイピナコテカ(大阪)で開催された具体美術会員によるグループ展。

《 4-1-1 1978 》
パネルに紙・色鉛筆(13.6×10.7cm)
※「金山明・田中敦子アソシエーション」作品登録カード
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田中 敦子|TANAKA Atsuko( 1932-2005)
1932年大阪生まれ。夫は金山明。1951年京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)中退の後、大阪市立美術館付設美術研究所に学ぶ。金山明・白髪一雄・村上三郎らが結成した「0会」に1953年頃参加。1955年具体美術協会に「0会」のメンバーと共に入会し、同年の第1回具体美術展に「ベル」、翌年の第2回展に「電気服」を出品する。1965年金山明と具体美術協会を退会。電球と管球を組み合わせ明滅する光の服に見立てた「電気服」のオブジェと同様に絵画作品でも円と曲線が絡み合う独特の精神世界を表現し、その先駆性が高く評価される。2005年逝去。
平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら、8月2日 (日) ~ 9月7日 (月)を夏季休業とさせていただきます。
宜しくお願い申し上げます。

《 Abacus ♯303 1973 》
キャンバス・油彩(45.5×53cm)
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関根 美夫|SEKINE Yoshio(1922-1989)
1922年和歌山県生まれ。 1954年具体美術協会の結成に参加。1959年具体美術協会を退会し、東京に拠点を移す。1963年第15回読売アンデパンダン展にて、関根の主要モチーフであるソロバンを初めて発表し、1965年第2回長岡現代美術館賞受賞。1966年、1967年のジャパン・アート・フェスティバルや現代日本美術展、日本国際美術展など出品。身の回りの日用品であるソロバンを機能的本質を表現する記号としてとらえ、抽象表現に昇華したその構造は、あらゆるものが記号化された高度経済成長期の空間を露呈させると高く評価された。1989年6月逝去。

この度、「企画展 : C810 フロム ☆ 1975」と題しまして、弊社コレクションより具体美術の後継者として期待される美術太郎やマルセル・ザマ(Marcel DZAMA)、アントニー・ミカレフ(Antony MICALLEF)などキャリア的にも成熟期をむかえる1975年前後生まれのアーティストをピックアップし、アフターコロナ時代を牽引する旬の表現をご紹介いたします。
< 出展作家 >
美術太郎、マルセル・ザマ、アントニー・ミカレフなど1975年前後生まれのアーティスト
会期:2020年6月16日 (火) ~ 7月25日 (土)
※新型コロナウイルス対策のため、アポイントメント制となります
営業時間:12:00 – 18:00 定休日:日月祝日
会場:鳩ノ森美術|art shop(アリガトビジュツ)
出品作品|Artworks

《 水玉のくつした(赤鼻のゾウ)2020 》
キャンバス・アクリル・コラージュ・金箔(27.3×41cm)
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アントニー・ミカレフ|Antony MICALLEF
《 Light Angel Bomber #2 2006 》
シルクスクリーン(70×50cm)ed.250
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マルセル・ザマ|Marcel DZAMA
《 作品 2005 》
リトグラフ(25×25cm)ed.15
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《 作品 1962 》
キャンバス・油彩(41×31.8cm)
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1932年東京都生まれ。1955年東京芸術大学卒業。卒業後は美術団体には属さず、1955年サトウ画廊*のキュレーションを担当。また彼自身も戦後日本における抽象絵画の主要作家の一人として精力的に活動する。1960年シェル美術賞3等、翌年に1等受賞。1962年に吉仲太造や村上善男らと共に「集団アルファ」を結成。1964年現代美術の動向展、1967年第9回日本国際美術展、1970年現代美術フェスティヴァル、1977年モスクワ国際美術展に出展。1988年池田二十世紀美術館で個展など。馬場の作品は東京国立近代美術館ら多くの美術館や文化庁に所蔵され、グレーを基調とした色彩と有機的な形が調和するイメージは、現在もなお多くの人々を魅了し続けています。1989年秋田市にアトリエを移転。2000年逝去。
*サトウ画廊(1955-1981)
1955年サトウ画材社長である佐藤友太郎が馬場彬を顧問に迎え、銀座に開設。東京画廊・南画廊・タケミヤ画廊らと並んで、戦後日本の現代美術黎明期を代表する画廊の一つ。河原温や李禹煥、菅木志雄など多くの新進気鋭作家をいち早く紹介し、アートムーヴメント「反芸術」の震源地として1950-70年代の現代美術を牽引。また、美術評論の御三家(針生一郎・東野芳明・中原佑介)を擁し「サトウ画報」を定期発行し、現代美術の普及に尽力した。1981年佐藤の死去に伴い閉廊。


《 さすらいの武士 1969 》
キャンバス・油彩(72.7×60.6cm)
※「Fran-Nell Gallery」シール
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1932年愛媛県生まれ。京都市立美術大学専攻科(現京都市立芸術大学大学院)卒業。パンリアル美術協会に参加後、1959年に岩田重義・楠田信吾らと前衛日本画集団「ケラ美術協会」を結成。活動期間は約4年(1964年解散)と短いが、日本画という枠を越え、砂・麻布・木・廃品等従来では考えられなかった素材を用い、コラージュをし、又は表面を削り、荒々しくも美しい表現が結集した「ケラ美術展」を勢力的に開催した。解散後は無所属となり、既存の日本画の枠組みにとらわれない富士や桜などに代表される日本の美を展開している。

《 作品 1968 》
板・アクリル・布(22.5×21.5×16.5cm)
※「個展(グタイピナコテカ)1968年」出品
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堀尾 貞治|HORIO Sadaharu(1939-2018)
1939年兵庫県生まれ。1957年芦屋市展初出品作が入賞し、具体のリーダー吉原治良の目に留まる。1965年第15回具体美術展に出品。翌年会員となり1972年の解散まで在籍。1968年にグタイピナコテカで個展を開催。1985年頃からは「あたりまえのこと」という一貫したテーマのもと、年間100回以上の展示・パフォーマンスを開催。堀尾にとって制作とは、生きるために不可欠な空気のような存在としてあった。2018年3月アートフェア東京2018では森内敬子×美術太郎とのコラボ展を開催し好評を博すも、11月急逝。日常と美術が強く結びついた堀尾の「あたりまえの営み=純粋芸術」は「美術とは何か?」を、今もなお問いかけ続けています。

《 作品 ca.1962 》
パネルに紙・合成樹脂塗料(20×10cm)
※「モトナガ資料研究室」鑑定書
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元永 定正|MOTONAGA Sadamasa(1922-2011)
1922年三重県生まれ。1940年大阪中之島美術研究所(現専学校中の島美術学院)に入所。1955年「具体美術協会」に参加し、16年間中心メンバーとして吉原治良に師事する。未知なる自然 を創作の源とし、色水をビニール袋に入れ吊るした作品や煙を使ったパフォーマンスなど、斬新な素材を用いて自然現象を表現した実験的な作品を発表。その後、絵具や塗料を直接キャンバスに流し込み川の流れや細胞分裂といった自然現象を示唆するような流動的な抽象絵画「たらし込み」を発表し注目を集めた。1966年ニューヨークに滞在以降は、制作初期のスタイルであったコミカルで遊び心あふれる抽象絵画「かたち」の追及を再び始め、1970年代からは絵本も数多く手がけた。特有のフォルムや抑揚のある線や形、豊かな色彩は観る者の心を和ませてくれる。1971年具体美術協会退会。2000年代に入ると、海外の美術館やアートマーケットでの具体美術の再評価とともに元永の評価もまた揺るぎないものとなっている。2011年10月逝去。