グループ展「FAS ART SPACE 開廊記念展」に美術太郎が出展します
period:2021年11月6日 (土) ~ 11月24日 (水)
venue:燕莎友誼百貨店(北京亮馬橋)
exhibitor:FAS ART SPACE
世界初!アートギャラリーがプロデュースする限定生産りんご「はとのもりんご」
2021年度分の販売を開始いたしました ※定員になり次第、〆切らせていただきます
限定500箱
箱にサイン、シリアルナンバー入り
1箱(7〜9個)¥5,000(税込、送料別)
11月下旬〜12月上旬 発送予定
はとのもりんご とは…
秋田県横手市増田町(旧平鹿群増田町)の増田りんごは、その美味しさからほぼ県内で消費され、県外に出回ることがありません。その中の最高級サンふじから選別された「はとのもりんご」は、ひとくち食べればりんごの概念が変わってしまうほどの美味しさです。鳩ノ森美術では、美しい=美術も、美味しい=美食も、人の心を豊かにするという意味で同義であると考えます。
お申込み先
mail : ringo@hatonomori-art.jp
tel : 03-3408-8100
《 作品 1969 》
画用紙・ガッシュ(45×37cm)
※「日本洋画商協同組合」鑑定登録証書
※来歴:吉原眞一郎旧蔵
price on request
吉原 治良|YOSHIHARA Jiro(1905-1972)
1905年大阪生まれ。1919年中学校在学中に独学で油絵を始める。当初は魚を題材に描き、1929年敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらう機会を得るが、独自性のなさを指摘されオリジナリティーの重要性を強く認識し、抽象画へと転換した。1934年藤田のすすめで二科展に出展し、出展作5点全てが入選。1938年二科会の前衛作家による九室会の結成に参加。1954年吉原のもとに糾合した関西の若手作家15名と共に「具体美術協会」を結成。1962年中之島にある自身の所有する土蔵を改造し、活動拠点となる《グタイピナコテカ》を開き、多くの展覧会を開催。また、自身も円形を題材にした多くの作品を描く。1970年高速道路建設のためグタイピナコテカ閉館。1972年2月逝去。同年3月31日「具体美術協会」解散
お手元で眠っている作品はございませんか?
ご整理をしようと思いつつ、置いたままの相続品、どれくらいの価値があるのか気になっている絵画や骨董品、どのようなジャンルの作品でも無料査定を承っております。
お気軽にお問い合わせください。
< 強化買取作品 >
具体美術協会|GUTAI
吉原治良、白髪一雄、田中敦子、今中クミ子、元永定正、嶋本昭三、村上三郎、吉田稔郎、山崎つる子、小野田 實、前川 強、松谷武判、上前智祐、名坂有子、菅野聖子
もの派|Mono-ha
民藝|MINGEI
その他|Others
草間彌生、奈良美智、鄭 相和、金 煥基、金 昌烈、郭 仁植、権 寧禹、丁 昌燮、尹 亨根、朴 栖甫、河 鍾賢
アートフェア「ART FAIR ASIA FUKUOKA 2021」に出展します
period:2021年9月22日 (水) ~ 9月26日 (日)
venue:博多阪急
exhibitor:SUB POPO
「集合(集団)」と「個(個人)」の関係性をテーマとしている越中正人は、メディアや風習、習慣から植え付けられた情報によって一般化し、画一化されてしまった問題を表現。さらに世界中の幼児画をサンプリング後再構成し、ユングの提唱する集合的無意識を探る美術太郎をピックアップし、既存の美術や流行、教育、障害の有無などに左右されない自由で多様な価値を容認する世界を表現します。
平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら、8月1日 (日) ~ 9月6日 (月)を夏季休業とさせていただきます。
※お電話・メールでのお問い合わせは承っております。
宜しくお願い申し上げます。
この度「企画展 : C810 シロクロ②」と題しまして、弊社コレクションより「もの派」の作家である李 禹煥・榎倉康二による「内なる心の世界」をモノクロームで表現した作品を展示販売いたします。「もの派」は、日本の戦後美術を語る上で「具体」と並ぶ重要なアートムーヴメントの一つであり、絵画の枠組みからの逸脱を試み、現在でも世界的に高い評価と関心を集めています。
黒は最も禁欲的な色でありながらも、観る者の心のありようを何ら制約することなく映し出すスクリーンのような作用を備えています。時には不都合な真実と出会ってしまう可能性を秘めながら、私たちの想像力を刺激し「内なる心の世界」と向き合う装置となります。光と影は表裏一体であり、過剰な光は漆黒の影を描きます。アートは社会と切り離しては存在することはできませんが、寛容性を失ったアートもまた存在理由を失います。私たちは不都合な真実が見えないのではなく、見ようとしていないだけなのかもしれません。本展は、私たちすべての人間が自身の潜在意識の中にある「内なる心の世界」と向き合う貴重な体験となることでしょう。ぜひ、ご高覧ください。
period:2021年6月22日 (火) ~ 7月22日 (木)
※好評につき7/31 (土) まで会期延長
hours:12:00 – 18:00 定休日:日月祝日
※新型コロナ対策のため、アポイントメント制となります
※会期中、展示入れ替えを行っています
venue:鳩ノ森美術|gallery
1936年韓国生まれ。1961年日本大学文学部哲学科卒業。1960年代末〜1970年代半ばにかけて日本で起こった前衛芸術の動向「もの派」の理論と実践における中心的役割を担い、その後の現代芸術に大きな影響を与える。作品は彫刻や絵画、ドローイング、版画など多岐にわたるが、それらの制作に一貫しているのは、石や鉄、あるいはキャンバスや筆との弛まぬ静かな対話を通して、自らの考えや感情など作家の内面を表現することよりも、「人間」と「もの」、あるいは「もの」と「もの」との関係性を問う姿勢である。今まで個別の「もの」や「空間」だったものが互いに結びつき、これまで見過ごされてきた世界と私たちとの間に新たな出会いをもたらす李の作品は、国内外から高い評価を集め、2010年に開館した李禹煥美術館(直島)は多くの来館者で溢れています。多摩美術大学名誉教授。
1942年東京都生まれ。1968年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。具体美術と並び日本の戦後美術を語る上で重要なアートムーヴメントである「もの派」の作家の一人。1970年中原佑介がコミッショナーを務めた第10回日本国際美術展に出展。1971年第7回パリ青年ビエンナーレ優秀賞(留学賞)。1979年と1980年ヴェネチア・ビエンナーレに出展するなど国際的に活躍。1974年アーヘン美術館や1994年国立国際美術館で個展。2005年東京都現代美術館で大規模な回顧展が開催された。壁に廃油を染み込ませたり、廃油・アクリル塗料をつけた木材を綿布に押し当てた滲みを利用するなど、榎倉の作品は独特の技法が生み出す際だった存在感で知られ、「物と物との関係」や「物と身体との関係」から生じる物質性に着目し、絵画の枠組みからの逸脱を試み、現在でも世界的に高い評価と関心を集めている。1995年10月死去。
作品|Artworks
《 項B 1979 》
木版画(60×80.7cm)ed.30
※第11回東京国際版画ビエンナーレ京都国立近代美術館賞
※「シロタ画廊」シール
price on request
《 黙2 2006 》
リトグラフ(91×110cm)ed.PP
price on request
《 Figure B-No.42 1985 》
綿布・アクリル(37.5×45cm)
price on request
《 Figure B-No.52 1986 》
綿布・アクリル(39×47×14.5cm)
price on request
《 掛分指描花瓶 》
セラミック(27×13cm)共箱
price on request
1894年神奈川県生まれ。1913年東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学し、上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。卒業後は河井と同じく京都市立陶磁器試験場に入所。1919年柳宗悦と我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に出会う。翌年リーチとともに渡英。セント・アイヴスで作陶生活を送る。帰国後(1924年)に京都の河井邸に滞在中、柳と河井を引き合わせる。同年、確かな生活に根差した製作の場を求め、栃木県の益子へ居を移し以後活動の拠点とした。濱田は、柳や河井とともに民藝運動*を推進した中心的存在であり、物心両面から民藝運動を支え、1961年柳の没後には「日本民藝館」館長に就任。濱田の作品は作陶の拠点であった益子の土と釉薬を用いた作品が多く、濱田が得意とした流掛や赤絵、塩釉などの技法や、「黍文」と呼ばれる独自の文様を施した作品は、どれも力強く健康的であり、1955年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。1977年自らの仕事の参考とした蒐集品を展示する「濱田庄司記念益子参考館」を開館。1978年1月逝去。
*民藝運動(1926-)
1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。
《 Figure B-No.52 1986 》
綿布・アクリル(39×47×14.5cm)
price on request
1942年東京都生まれ。1968年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。具体美術と並び日本の戦後美術を語る上で重要なアートムーヴメントである「もの派」の作家の一人。1970年中原佑介がコミッショナーを務めた第10回日本国際美術展に出展。1971年第7回パリ青年ビエンナーレ優秀賞(留学賞)。1979年と1980年ヴェネチア・ビエンナーレに出展するなど国際的に活躍。1974年アーヘン美術館や1994年国立国際美術館で個展。2005年東京都現代美術館で大規模な回顧展が開催された。壁に廃油を染み込ませたり、廃油・アクリル塗料をつけた木材を綿布に押し当てた滲みを利用するなど、榎倉の作品は独特の技法が生み出す際だった存在感で知られ、「物と物との関係」や「物と身体との関係」から生じる物質性に着目し、絵画の枠組みからの逸脱を試み、現在でも世界的に高い評価と関心を集めている。1995年10月逝去。