カテゴリー別アーカイブ: 販売作品

浜田泰介|HAMADA Taisuke

《 さすらいの武士 1969 》

キャンバス・油彩(72.7×60.6cm)

「Fran-Nell Gallery」シール

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浜田 泰介|HAMADA Taisuke(1932-)

1932年愛媛県生まれ。京都市立美術大学専攻科(現京都市立芸術大学大学院)卒業。パンリアル美術協会に参加後、1959年に岩田重義・楠田信吾らと前衛日本画集団「ケラ美術協会」を結成。活動期間は約4年(1964年解散)と短いが、日本画という枠を越え、砂・麻布・木・廃品等従来では考えられなかった素材を用い、コラージュをし、又は表面を削り、荒々しくも美しい表現が結集した「ケラ美術展」を勢力的に開催した。解散後は無所属となり、既存の日本画の枠組みにとらわれない富士や桜などに代表される日本の美を展開している。

 

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堀尾貞治|HORIO Sadaharu

《 作品 1968 》

板・アクリル・布(22.5×21.5×16.5cm)

「具体美術小品展(グタイピナコテカ)1968年」出品

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堀尾 貞治|HORIO Sadaharu(1939-2018)

1939年兵庫県生まれ。1957年芦屋市展初出品作が入賞し、具体のリーダー吉原治良の目に留まる。1965年第15回具体美術展に出品。翌年会員となり1972年の解散まで在籍。1985年頃からは「あたりまえのこと」という一貫したテーマのもと、年間100回以上の展示・パフォーマンスを開催。堀尾にとって制作とは、生きるために不可欠な空気のような存在としてあった。2018年3月アートフェア東京2018では森内敬子×美術太郎とのコラボ展を開催し好評を博すも、11月死去。日常と美術が強く結びついた堀尾の「あたりまえ」の営み=純粋芸術は「美術とは何か?」を、今もなお問いかけ続けています。

 

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元永定正|MOTONAGA Sadamasa

《 作品 C.1962 》

パネルに紙・合成樹脂塗料(20×10cm)

※「モトナガ資料研究室」鑑定書

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元永 定正|MOTONAGA Sadamasa(1922-2011)

1922年三重県生まれ。1940年大阪中之島美術研究所(現専学校中の島美術学院)に入所。1955年「具体美術協会」に参加し、16年間中心メンバーとして吉原治良に師事する。未知なる自然 を創作の源とし、色水をビニール袋に入れ吊るした作品や煙を使ったパフォーマンスなど、斬新な素材を用いて自然現象を表現した実験的な作品を発表。その後、絵具や塗料を直接キャンバスに流し込み川の流れや細胞分裂といった自然現象を示唆するような流動的な抽象絵画「たらし込み」を発表し注目を集めた。1966年ニューヨークに滞在以降は、制作初期のスタイルであったコミカルで遊び心あふれる抽象絵画「かたち」の追及を再び始め、1970年代からは絵本も数多く手がけた。特有のフォルムや抑揚のある線や形、豊かな色彩は観る者の心を和ませてくれる。1971年具体美術協会退会。2000年代に入ると、海外の美術館やアートマーケットでの具体美術の再評価とともに元永の評価もまた揺るぎないものとなっている。2011年10月死去。

 

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吉原治良|YOSHIHARA Jiro

《 作品 1969 》

画用紙・ガッシュ(37×45cm)

※「日本洋画商協同組合」鑑定登録証書

※来歴:吉原通雄旧蔵

※「脈々とGUTAI 秋田 これがフジタの遺伝子だべ( 秋田県立美術館)2016年」出品

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吉原 治良|YOSHIHARA Jiro(1905-1972)

1905年大阪生まれ。1919年中学校在学中に独学で油絵を始める。当初は魚を題材に描き、1929年敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらう機会を得るが、独自性のなさを指摘されオリジナリティーの重要性を強く認識し、抽象画へと転換した。1934年藤田のすすめで二科展に出展し、出展作5点全てが入選。1938年二科会の前衛作家による九室会の結成に参加。1954年吉原のもとに糾合した関西の若手作家15名と共に「具体美術協会」を結成。1962年中之島にある自身の所有する土蔵を改造し、活動拠点となる《グタイピナコテカ》を開き、多くの展覧会を開催。また、自身も円形を題材にした多くの作品を描く。1970年高速道路建設のためグタイピナコテカ閉館。1972年2月死去。同年3月31日「具体美術協会」解散。

 

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嶋本昭三|SHIMAMOTO Shozo

《 作品 》

シルクスクリーン(61×43cm)ed.100

¥250,000 + tax

 

嶋本 昭三|SHIMAMOTO Shozo(1928-2013)

1928年大阪府生まれ。1947年吉原治良に師事。キャンバスの代わりに支持体とした新聞紙に穴を開けた前衛的な作品を吉原に称賛される。1950年関西学院大学卒業。1954年「具体美術協会」の結成に参加し、大砲を使って絵具をカンヴァスに向けて飛ばすパフォーマンスを披露。そこから当時の主要スタイルとなる、絵具を詰めたガラス瓶をキャンバスに置いた石に投げ付ける「投擲(とうてき)絵画」が誕生した。1957年具体誌に寄稿の「絵筆処刑論」にて、“絵具と絵筆は悲劇的関係にあり、絵筆による虚勢の彼方に絵具の本質的美を求める”と提唱。1975年アーティスト・ユニオン(AU)の結成に参加。1999年紺綬褒章受章。2013年1月死去。

 

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草間彌生|KUSAMA Yayoi

《 靴 1985 》

シルクスクリーン(45.5×53cm)ed.100

※「フジテレビギャラリー」シール

Sold

 

草間 彌生|KUSAMA Yayoi(1929-)

1929年長野県生まれ。幼少期から幻視・幻聴を体験し、網模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。様々なオブセッションを乗り越え、単一モチーフの強迫的な反復と増殖による自己消滅という救済を見出す。1957年の渡米後はより抽象度の高いネットペインティングやソフトスカラプチャー、インスタレーションやハプニングなど多様な展開を見せ、前衛芸術家としての地位を確立。1998年ニューヨーク近代美術館で開催された回顧展「Love Foever Yayoi Kusama 1958-1968」で再評価され、以降、世界各地の美術館で展覧会が開催される。近年ではテートモダンやポンピドゥーセンターでの大規模な回顧展が反響を呼び、中南米巡回ツアーとアジア巡回ツアーでの動員により、2014年に美術館動員最多記録を更新。2016年文化勲章受賞。2017年東京(新宿)に草間彌生美術館が開館。現在も精力的に活動を続け、次々に新作を発表し続けている。

 

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ベルント・フリーベリ|Berndt FRIBERG

《 瑠璃紺釉花器 1973 》

セラミック(8×9cm)

¥120,000 + tax

 

ベルント・フリーベリ|Berndt FRIBERG(1899-1981)

1899年スウェーデン生まれ。1934年リサラーソンやリンドベリを輩出したダスタフスベリ製陶所に入所し、巨匠ヴィルヘルム・コーゲに師事。1941年自身の工房を設立。日本や中国、朝鮮の古陶磁から影響を受け、フォルムや釉薬を追及し続けた。フリーベリの作品は、釉薬や肌など女性的な美しさを感じさせる繊細で優美なものが多く、世界中の多くのコレクターから愛され続けています。1981年7月死去。(メトロポリタン美術館ほか世界各国の美術館に収蔵。ミラノトリエンナーレにて1947年、1951年、1954年に金賞受賞。)

 

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島岡達三|SHIMAOKA Tatsuzo

《 畫花赤繪扁壺 》

セラミック(21.5×10×8.5cm)共箱

¥250,000 + tax

 

島岡 達三|SHIMAOKA Tatsuzo(1919-2007)

1819年東京生まれ。1941年東京工業大学窯業科を卒後後、益子に移住。1946年濱田庄司に師事し、“早く自分の個性あるものを…。”と言われ「縄文象嵌技法」という独自の美を生み出す。島岡の力強く美しい象嵌作品は国内外で高い評価を得て、1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。益子という土地で、国内外から陶芸を学ぶため訪れる者や職人と共に、民藝運動*の心と仕事を続けた。2007年12月死去。

 

*民藝運動(1926-)

1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。

 

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濱田庄司|HAMADA Shoji

《 藍塩釉面取花瓶 》

セラミック(29×13cm)共箱

Sold

 

濱田 庄司|HAMADA Shoji(1894-1978)

1894年神奈川県生まれ。1913年東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学し、上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。卒業後は河井と同じく京都市立陶磁器試験場に入所。1919年柳宗悦と我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に出会う。翌年リーチとともに渡英。セント・アイヴスで作陶生活を送る。帰国後(1924年)に京都の河井邸に滞在中、柳と河井を引き合わせる。同年、確かな生活に根差した製作の場を求め、栃木県の益子へ居を移し以後活動の拠点とした。濱田は、柳や河井とともに民藝運動*を推進した中心的存在であり、物心両面から民藝運動を支え、1961年柳の没後には「日本民藝館」館長に就任。濱田の作品は作陶の拠点であった益子の土と釉薬を用いた作品が多く、濱田が得意とした流掛や赤絵、塩釉などの技法や、「黍文」と呼ばれる独自の文様を施した作品は、どれも力強く健康的であり、1955年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。1977年自らの仕事の参考とした蒐集品を展示する「濱田庄司記念益子参考館」を開館。1978年1月死去。

 

*民藝運動(1926-)

1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。

 

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グタイピナコテカ ポスター|GUTAI PINACOTHECA Poster

《 グタイピナコテカ(フォンタナ, カポグロッシ展)ポスター 1964 》

シルクスクリーン(61×43cm)

来歴:吉原治良旧蔵

¥500,000 + tax

 

グタイピナコテカ|GUTAI PINACOTHECA(1962-1970)

1962年中之島(大阪市北区宗是町33)に吉原治良が開設した明治時代の土蔵を改修した展示施設で、「ピナコテカ」とは具体美術の活動に大きく貢献したフランスの美術評論家ミシェル・タピエが命名した「絵画館や画廊」を意味する言葉。具体美術展や会員の個展、具体美術小品展、具体美術新人展などが定期的に開催されるなど、具体美術の活動拠点であっただけでなく、フォンタナやカポグロッシ、サム・フランシスら海外作家の展覧会も行われた。また先端の美術動向を示す場として注目度も高く、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、イサム・ノグチなどの美術家や音楽家のジョン・ケージ、美術評論家のクレメント・グリーンバーグなど海外の著名な美術関係者とも活発な交流が行われた。1970年阪神高速道路出入口建設のため閉館。吉原は翌年《グタイミニピナコテカ》を開設し、活動を継続するとともに《新グタイピナコテカ》の建設を計画していたが、1972年2月の急死により実現することはなかった。

 

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