カテゴリー別アーカイブ: 販売作品

美術太郎| BIJUTSU Taro

《 浮世絵(SAV€ M¥ $OUL?)2021 》

キャンバス・アクリル・コラージュ・金箔(53×45.5cm)

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美術 太郎|BIJUTSU Taro(1975-)

1975年秋田県生まれ。多摩美術大学卒業。自作ポストカードの路上販売から活動を開始する。ブランド=作家の知名度によって作品が評価されることを痛快に批判し、顔や本名を公表せず「美術太郎(BT)」名義で制作を続けている。アートが一過性のラグジュアリーアイテムかつ投機対象として過熱する昨今、本当にアートを必要としているのは社会的・物質的強者ではなくむしろ清貧なる弱者であると考え、「100万円の絵を1枚描くよりも1万円の絵を100枚描きたい」、「私の絵はみんなの心にそっと寄り添う心の栄養でありたい」と美術太郎は語っています。

横尾忠則|YOKOO Tadanori(1936-)

《 腰巻お仙-忘却編 1966 》

シルクスクリーン (106×77cm)

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横尾 忠則|YOKOO Tadanori(1936-)

1936年兵庫県生まれ。1970年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された世界ポスター展で「腰巻お仙-忘却編」のポスターが60年代を代表する世界のポスター第1位に選ばれ世界的な評価を得る。1972年ニューヨーク近代美術館で個展。1981年に画家に転向し、パリ、ベネチア、サンパウロ、バングラデッシュなど世界各国のビエンナーレに招待出品。パリのカルティエ現代美術財団での個展など内外の美術館で多数の個展を開催し、国際的に高い評価を得る。小説『ぶるうらんど』(文藝春秋)では第36回泉鏡花文学賞を受賞。国内外での旺盛な活動は常に話題となり時代に大きな影響を与え続けている。毎日芸術賞、ニューヨークADC殿堂入り、紫綬褒章、旭日小綬章 、朝日賞など受賞 受章多数。ニューヨーク近代美術館では、数多くの作品がMoMAコレクションとして永久収蔵されている。

嶋本昭三|SHIMAMOTO Shozo

《 無題 – ベニスビエンナーレ 1993 》

ボードに貼付したビニール・ミクストメディア(14.8×14.8cm)

※「Shozo Shimamoto Association」鑑定書

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嶋本 昭三|SHIMAMOTO Shozo(1928-2013)

1928年大阪府生まれ。1947年吉原治良に師事。キャンバスの代わりに支持体とした新聞紙に穴を開けた前衛的な作品を吉原に称賛される。1950年関西学院大学卒業。1954年「具体美術協会」の結成に参加し、大砲を使って絵具をカンヴァスに向けて飛ばすパフォーマンスを披露。そこから当時の主要スタイルとなる、絵具を詰めたガラス瓶をキャンバスに置いた石に投げ付ける「投擲(とうてき)絵画」が誕生した。1957年具体誌に寄稿の「絵筆処刑論」にて、“絵具と絵筆は悲劇的関係にあり、絵筆による虚勢の彼方に絵具の本質的美を求める”と提唱。1975年アーティスト・ユニオン(AU)の結成に参加。1999年紺綬褒章受章。2013年1月死去。

 

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藤田嗣治|FUJITA Tsuguharu

《 赤ん坊と猫 1950s 》

紙・インク (24×17cm)

※「東京美術倶楽部鑑定委員会」鑑定証書

※「藤田嗣治小品展( GALERIE ROMANET)1975年」出品

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藤田 嗣治|FUJITA Tsuguharu(1886-1968)

1886年 東京生まれ。 1913年東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科を卒業後に渡仏。エコール・ド・パリで旋風を巻き起こし、天才ピカソをして「彼こそ真の天才」と言わしめたフジタ。滑らかな下地の上に繊細な線と薄塗りで描いた女性像や裸婦作品が、グラン・フォン・ブラン(素晴らしき乳白色)と絶賛され、画家として揺るぎない地位を確立する。1925年レジオン・ドヌール勲章受章。1942年軍により東南アジア各地へ派遣され、戦争画を制作するも戦後は画壇から戦争協力者として批判を浴び、日本を離れパリへと帰国。1955年フランス国籍を取得。日本藝術院会員を辞任。1957年レジオン・ドヌール勲章シュバリエ受章。1959年カトリックの洗礼を受け、レオナールという洗礼名を与えられる。1966年ランスのノートルダム・ド・ラ・ペ・フジタ礼拝堂を自ら建設。 1968年死去。日本政府より勲一等瑞宝章を授与される。

 

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フィリップ・ワイズベッカー|Philippe WEISBECKER

《 TATAMI♯02 2016 》

リトグラフ(59×79cm)ed.30

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フィリップ・ワイズベッカー|Philippe WEISBECKER(1942-)

1942年セネガル生まれ。1966 年フランス国立高等装飾美術学校(パリ)卒業。1968 年ニューヨーク市に移住し、活動を始める。アメリカの広告やエディトリアルのイラストレーション制作を数多く手がけた後、2006 年フランスに帰国。アートワークを本格的に制作開始し、欧米や日本で発表を続けている。2004 年にはアンスティチュ・フランセ日本が運営するアーティスト・イン・レジデンス、ヴィラ九条山に滞在。日本での仕事も多く、JAGDA、NYADC、東京ADC など国内外で受賞。2020 年東京オリンピック公式ポスターも手がけている。日常に存在する何気ないモチーフに美を見出し、表情豊かに描かれた作品は私たちに新鮮な発見を与えてくれます。

 

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名坂千吉郎|NASAKA Senkichiro

《 唯我論 1996 》

ボード・ミクストメディア(72.7×53cm)

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名坂 千吉郎|NASAKA Senkichiro(1923-2014)

1923年大阪府生まれ。1950年関西総合美術展入選。1952年京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)日本画研究科卒業。40歳で洋画に転向した名坂は、1965年「具体美術協会」会員となり、1972年の解散まで中心メンバーとして活動する。初期はアンフォルメルから影響を受けた絵画作品を発表するも、後期はハードエッジやライトアート、キネティックアートなど具体後期を特徴づける環境芸術へ移行した。2014年死去。

 

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津高和一|TSUTAKA Waichi

《 作品 C.1965 》

キャンバス・油彩(65.2×91cm)

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津高 和一|TSUTAKA Waichi(1911-1995)

1911年兵庫県生まれ。具象画から色面と線による画面構成が独特の詩情ある抽象画へと展開。日本の抽象画のパイオニア的存在。1955年吉原治良・須田剋太・八木一夫らと国際アートクラブ関西支部を創立。1957年サンパウロ・ビエンナーレ、1960年グッゲンハイム国際美術賞展出品など海外でも高い評価を得る。1968年大阪芸術大学教授となり、多くの後進の育成にも尽力。1995年阪神・淡路大震災で倒壊した自宅の下敷きとなり、夫人と共に死去。現在でも叙情性に溢れた津高の作品は、観る者を心象風景へと静かに誘い続けています。

 

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島岡達三|SHIMAOKA Tatsuzo

《 辰砂釉赤繪草花文扁壺 》

セラミック(25.8×18.6cm)共箱

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島岡 達三|SHIMAOKA Tatsuzo(1919-2007)

1819年東京生まれ。1941年東京工業大学窯業科を卒後後、益子に移住。1946年濱田庄司に師事し、“早く自分の個性あるものを…。”と言われ「縄文象嵌技法」という独自の美を生み出す。島岡の力強く美しい象嵌作品は国内外で高い評価を得て、1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。益子という土地で、国内外から陶芸を学ぶため訪れる者や職人と共に、民藝運動*の心と仕事を続けた。2007年12月死去。

 

*民藝運動(1926-)

1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。

 

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吉原治良|YOSHIHARA Jiro

《 作品 1969 》

シルクスクリーン (61×50cm)ed.100

¥600,000 + tax

 

吉原 治良|YOSHIHARA Jiro(1905-1972)

1905年大阪生まれ。1919年中学校在学中に独学で油絵を始める。当初は魚を題材に描き、1929年敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらう機会を得るが、独自性のなさを指摘されオリジナリティーの重要性を強く認識し、抽象画へと転換した。1934年藤田のすすめで二科展に出展し、出展作5点全てが入選。1938年二科会の前衛作家による九室会の結成に参加。1954年吉原のもとに糾合した関西の若手作家15名と共に「具体美術協会」を結成。1962年中之島にある自身の所有する土蔵を改造し、活動拠点となる《グタイピナコテカ》を開き、多くの展覧会を開催。また、自身も円形を題材にした多くの作品を描く。1970年高速道路建設のためグタイピナコテカ閉館。1972年2月死去。同年3月31日「具体美術協会」解散。

 

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