河井 寛次郎|KAWAI Kanjiro(1890-1996)

1890年島根県生まれ。東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学し、板谷波山に師事する。1914年京都陶磁器試験所に入所。1920年五条坂(京都)に鐘渓窯を構え独立。1921年第一回創作陶磁展を開催し、一躍脚光を浴びるが、“自分の作品は衣装であり化粧であり、中身の体はどうしたのか、心がけはどうしたのか”と、自らの作品制作に悩む。1926年濱田庄司から柳宗悦を紹介され*民藝運動に深く共感し実用的な陶器制作を新たな目標とする。1955年文化勲章を辞退。人間国宝や芸術院会員などへの推挙もあったが同様に辞退。1957年「白地草花絵扁壷」がミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するも無位無冠の陶工として、その創作意欲(中国古典を模範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期)が生涯枯れることはなかった。1996年11月逝去。

 

*民藝運動(1926-)

1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。

 

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作品|Artworks


 

《 花湯絞文鉄合子 》

セラミック(13×13cm)棟方志向鑑定箱

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