1887年帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)生まれのユダヤ系フランス人画家。初期前衛芸術運動の代表的な画家であり、*エコール・ド・パリの中心的な存在。1910年渡仏。ラ・リューシュ(ハチの巣)というパリのアパート兼共同アトリエで制作に励む一方、画家のモディリアーニや詩人のアポリネールらと交流し、キュビスムやフォーヴィスムを中心とする最新の美術動向にふれる。エコール・ド・パリに加わったシャガールは様々な影響を受けながらもひとつの様式におさまらず、恋人や花束といったモティーフが浮遊する郷愁を感じさせる独自の作風を確立。1915年に生涯シャガールが愛し、創造の源泉となった同じユダヤ人のベラと結婚。翌年には娘イダが生まれ、画家としての名声も高まるが、ナチスによるユダヤ民族の迫害政策やロシア革命、二度の世界大戦などの苦難に見舞われ、ヨーロッパ各地を転々としたのちアメリカへ亡命。ロシアの著名な演出家からの依頼でバレエ『アレコ』の舞台装置(青森県立美術館は舞台背景画3点を収蔵)を手がける。ベラが感染症にかかり急逝。ベラの死後、しばらく筆を取れなくなっていたが、イダをはじめとする周囲の支えにより制作を再開し、作品は宗教性や神秘性を秘め「色彩の魔術師」と呼ばれるような鮮やかな色彩表現を深めていく。1950年から南仏のヴァンスに定住し、晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮し、すべてのものには神の愛が宿るとする「ハシディズム」の考えのもと、生涯で「愛」と「聖」というテーマを貫き「愛の画家」と称される。1973年国立マルク・シャガール美術館がニースに開館。1985年3月逝去。享年97歳。
*エコール・ド・パリ(1920s)
1920年代パリで制作活動をしたアーティストたちの一群。特定の流派や様式、芸術運動を伴わない外国人芸術家たちのゆるやかなまとまりを指す。その多くはモンマルトルもしくはモンパルナスに居住する東欧出身もしくはユダヤ系の作家たちであった。印象派の登場から第二次世界大戦までパリは芸術の国際的中心地として多くの芸術家やギャラリーを集め、外国人芸術家たちは批評家や画商のサポートを受けながら活動した。代表的な作家はピカソ、ミロ、シャガール、ブランクーシ、キスリング、パスキン、モディリアーニ、藤田嗣治など。
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作品|Artworks
《 ユリシーズを眠らせるアテナ(オデッセイより)1975 》
リトグラフ(42.5×32cm)ed.30
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《 ルナ 1948 》
紙・ガッシュ・墨(65×50cm)
※「Comite Marc Shagall」鑑定書
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《 ニースのヴィクトワール通り(コート・ダジュールより)1967 》
リトグラフ(61.5×46cm)ed.150
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