カテゴリー別アーカイブ: 販売作品

堀尾貞治|HORIO Sadaharu

《 作品 1965 》

板・アクリル・布・ボンド(47.3×37.5×12.6cm)

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堀尾 貞治|HORIO Sadaharu(1939-2018)

1939年兵庫県生まれ。1957年芦屋市展初出品作が入賞し、具体のリーダー吉原治良の目に留まる。1965年第15回具体美術展に出品。翌年会員となり1972年の解散まで在籍。1968年にグタイピナコテカで個展を開催。1985年頃からは「あたりまえのこと」という一貫したテーマのもと、年間100回以上の展示・パフォーマンスを開催。堀尾にとって制作とは、生きるために不可欠な空気のような存在としてあった。2018年3月アートフェア東京2018では森内敬子×美術太郎とのコラボ展を開催し好評を博すも、11月急逝。日常と美術が強く結びついた堀尾の「あたりまえの営み=純粋芸術」は「美術とは何か?」を、今もなお問いかけ続けています。

 

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元永定正|MOTONAGA Sadamasa

《 作品 1963 》

紙・水彩(23.9×27.2cm)

※「モトナガ資料研究室」鑑定書

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元永 定正|MOTONAGA Sadamasa(1922-2011)

1922年三重県生まれ。1940年大阪中之島美術研究所(現専学校中の島美術学院)に入所。1955年「具体美術協会」に参加し、16年間中心メンバーとして吉原治良に師事する。未知なる自然 を創作の源とし、色水をビニール袋に入れ吊るした作品や煙を使ったパフォーマンスなど、斬新な素材を用いて自然現象を表現した実験的な作品を発表。その後、絵具や塗料を直接キャンバスに流し込み川の流れや細胞分裂といった自然現象を示唆するような流動的な抽象絵画「たらし込み」を発表し注目を集めた。1966年ニューヨークに滞在以降は、制作初期のスタイルであったコミカルで遊び心あふれる抽象絵画「かたち」の追及を再び始め、1970年代からは絵本も数多く手がけた。特有のフォルムや抑揚のある線や形、豊かな色彩は観る者の心を和ませてくれる。1971年具体美術協会退会。2000年代に入ると、海外の美術館やアートマーケットでの具体美術の再評価とともに元永の評価もまた揺るぎないものとなっている。2011年10月逝去。

 

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村上友晴|MURAKAMI Tomoharu

《 作品 ca.1980 》

紙・油彩(13.7×12cm)

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村上 友晴|MURAKAMI Tomoharu(1938-)

1938年福島県生まれ。1961年東京藝術大学日本画科卒業後、日本画家として活動を始める。1964年グッゲンハイム国際賞展に吉原治良・田中敦子らと共に招待出品された際に、アメリカ抽象表現主義の画家たちの作品に衝撃を受け、油彩・木炭・アクリルなどを時間をかけて塗り重ねる独自の手法での絵画制作へ移行。トラピスト修道院を訪れたことをきっかけに、カトリック教会の信徒となり、現在にいたるまで深い精神性を湛えた「神への祈りを捧げる絵画」の制作を続けている。呼吸をすることと描くことを同じようにとらえ、生きるために描き続ける村上。絵具のマチエールの上には、気の遠くなるほどの行為の跡が刻み込まれている。

 

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吉原治良|YOSHIHARA Jiro

《 作品 1969 》

画用紙・ガッシュ(45×37cm)

※「日本洋画商協同組合」鑑定登録証書

※来歴:吉原眞一郎旧蔵

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吉原 治良|YOSHIHARA Jiro(1905-1972)

1905年大阪生まれ。1919年中学校在学中に独学で油絵を始める。当初は魚を題材に描き、1929年敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらう機会を得るが、独自性のなさを指摘されオリジナリティーの重要性を強く認識し、抽象画へと転換した。1934年藤田のすすめで二科展に出展し、出展作5点全てが入選。1938年二科会の前衛作家による九室会の結成に参加。1954年吉原のもとに糾合した関西の若手作家15名と共に「具体美術協会」を結成。1962年中之島にある自身の所有する土蔵を改造し、活動拠点となる《グタイピナコテカ》を開き、多くの展覧会を開催。また、自身も円形を題材にした多くの作品を描く。1970年高速道路建設のためグタイピナコテカ閉館。1972年2月逝去。同年3月31日「具体美術協会」解散

 

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濱田庄司|HAMADA Shoji

《 掛分指描花瓶 》

セラミック(27×13cm)共箱

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濱田 庄司|HAMADA Shoji(1894-1978)

1894年神奈川県生まれ。1913年東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学し、上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。卒業後は河井と同じく京都市立陶磁器試験場に入所。1919年柳宗悦と我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に出会う。翌年リーチとともに渡英。セント・アイヴスで作陶生活を送る。帰国後(1924年)に京都の河井邸に滞在中、柳と河井を引き合わせる。同年、確かな生活に根差した製作の場を求め、栃木県の益子へ居を移し以後活動の拠点とした。濱田は、柳や河井とともに民藝運動*を推進した中心的存在であり、物心両面から民藝運動を支え、1961年柳の没後には「日本民藝館」館長に就任。濱田の作品は作陶の拠点であった益子の土と釉薬を用いた作品が多く、濱田が得意とした流掛や赤絵、塩釉などの技法や、「黍文」と呼ばれる独自の文様を施した作品は、どれも力強く健康的であり、1955年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。1977年自らの仕事の参考とした蒐集品を展示する「濱田庄司記念益子参考館」を開館。1978年1月逝去。

 

*民藝運動(1926-)

1926年「日本民藝美術館設立趣意書」を4人連盟(柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉)での発刊により開始した、日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美「用の美」を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとする日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続いている。

 

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榎倉康二|ENOKURA Koji

《 Figure B-No.52 1986 》

綿布・アクリル(39×47×14.5cm)

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榎倉 康二|ENOKURA Koji(1942-1995)

1942年東京都生まれ。1968年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。具体美術と並び日本の戦後美術を語る上で重要なアートムーヴメントである「もの派」の作家の一人。1970年中原佑介がコミッショナーを務めた第10回日本国際美術展に出展。1971年第7回パリ青年ビエンナーレ優秀賞(留学賞)。1979年と1980年ヴェネチア・ビエンナーレに出展するなど国際的に活躍。1974年アーヘン美術館や1994年国立国際美術館で個展。2005年東京都現代美術館で大規模な回顧展が開催された。壁に廃油を染み込ませたり、廃油・アクリル塗料をつけた木材を綿布に押し当てた滲みを利用するなど、榎倉の作品は独特の技法が生み出す際だった存在感で知られ、「物と物との関係」や「物と身体との関係」から生じる物質性に着目し、絵画の枠組みからの逸脱を試み、現在でも世界的に高い評価と関心を集めている。1995年10月逝去。

 

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名坂有子|NASAKA Yuko

《 作品 1963 》

板・樹脂・ラッカー(30.3×30.3cm)

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名坂 有子|NASAKA Yuko(1938-)

1938年大阪府生まれ。1959年樟蔭女子大学卒業。1962年第15回芦屋市展に段ボールに無数の穴をあけた大作を出品し、市長賞と15周年記念賞を受賞。1963年「具体美術協会」会員となり1972年の解散まで在籍。1964年グタイピナコテカで開催した初個展では、同心円のモチーフ(回転板を用いて制作)を連結した壁面全体を覆い尽くす大作を出品。同一モチーフの反復を強調することにより、壮大な絵画空間を表現した。1965年第9回シェル美術賞佳作賞受賞。1966年具体美術小品展(スタドラー画廊)出品。1970年日本万国博覧会政府館4号館ドームパターンを担当。現在も同心円に対峙し、精力的に発表を続けている。

 

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マルセル・デュシャン|Marcel DUCHAMP

《 The top inscription 1965 》

エッチング(15.8×34.7cm)ed.30

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マルセル・デュシャン|Marcel DUCHAMP(1887-1968)

1887年フランス生まれ。初期は《階段を降りる裸婦 Ⅱ 1912年》に代表される画家であったが、1913年からは従来の絵画を離れ「美的無関心」を基準として選ばれた自転車の車輪やビン掛け、シャベルなどの既製品を作品化した「レディメイド」の概念を打ち出した。2017年自身も実行委員を務める米独立美術家協会主催のアンデパンダン展で便器に「R.Mutt」とサインしたレディメイド作品《泉》(1917/650)を偽名で出品。他の委員が展示を拒否し、作品は行方不明となった。また、代表作であるガラス板にメカニカルな図像を刻んだ《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称・大ガラス)1515〜1523年》は、哲学・数学などの要素が複雑に絡み合っており、その制作メモやデッサンをまとめた《グリーンボックス 1934年》を通して図像の内容を推測し、その概念や作品の謎には様々な解釈が与えられ続けている。デュシャンは20世紀における最も独創的で衝撃的な影響を与えた芸術家の一人とされ「現代アートの父」と呼ばれている。1968年10月逝去。

 

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斎藤義重|SAITO Yoshishige

《 作品 1960 》

ボード・油彩・ドリル・鉄(17.5×21.5cm)

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斎藤 義重|SAITO Yoshishige(1904-2001)

1904年青森県生まれ。ロシア未来派やダダイズムに影響を受け、1933年東郷青児や古賀春江らが主宰した「アヴァンガルド洋画研究所」に入所。1938年吉原治良や山口長男らと「九室会」、1939年福沢一郎らと「美術文化協会」を創立。1957年第4回日本国際美術展K氏賞、1959年第5回日本国際美術展国立近代美術館賞、1961年第6回サンパウロ・ビエンナーレ国際絵画賞、グッケンハイム国際美術展優秀賞など数多くの賞を受賞。各国の画廊から個展や作品購入の申込みが殺到し、日本の戦後美術を代表する作家の一人となった。合板の重なりが奥行きを見せる平面とも立体ともつかないような作品「トロウッド」、電動ドリルを使って支持体に点や線の痕跡を残した60年代の作品、黒の板をボルトで連結させた「複合体」シリーズなど絵画と彫刻の垣根を超えた前衛的な表現を展開した。また後進の指導にも尽力し、1964年多摩美術大学の教授に就任。斎藤義重教室からは関根伸夫、吉田克朗、成田克彦、小清水漸、菅木志雄ら「もの派」の美術家を輩出した。2001年6月逝去。

 

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李禹煥|LEE U-Fan

《 項B 1979 》

木版画(73.5×105.5cm)ed.30

※第11回東京国際版画ビエンナーレ京都国立近代美術館賞

※「シロタ画廊」シール

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李 禹煥|LEE U-Fan(1936-)

1936年韓国生まれ。1961年日本大学文学部哲学科卒業。1960年代末〜1970年代半ばにかけて日本で起こった前衛芸術の動向「もの派」の理論と実践における中心的役割を担い、その後の現代芸術に大きな影響を与える。作品は彫刻や絵画、ドローイング、版画など多岐にわたるが、それらの制作に一貫しているのは、石や鉄、あるいはキャンバスや筆との弛まぬ静かな対話を通して、自らの考えや感情など作家の内面を表現することよりも、「人間」と「もの」、あるいは「もの」と「もの」との関係性を問う姿勢である。今まで個別の「もの」や「空間」だったものが互いに結びつき、これまで見過ごされてきた世界と私たちとの間に新たな出会いをもたらす李の作品は、国内外から高い評価を集め、2010年に開館した李禹煥美術館(直島)は多くの来館者で溢れています。多摩美術大学名誉教授。

 

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